チューブから水分入れるって、延命治療なんでしょうか?
水だけじゃあまり効果がない、栄養も入れないと
延命治療はしないでおこうと思っているのですが・・
即入院を促す医師に、恐る恐る伝えた時の驚いた顔といったら。
とても非常識なことを口にしてしまったようで・・・
義父が救急搬送された先の病院での話です。
結局、義父は3カ月ほどチューブに繋がれ延命しました。
延命治療を拒否するって、想像以上に選びにくい選択肢でした。その時の体験談。
延命治療は拒否するはずだった
義父と同居を始めた時から、延命治療について夫婦で相談を重ねました。
延命治療とは
延命治療という言葉は、一般に「何らかの治療行為を行わなければ死に至るはずのものを、生きながらえさせるための治療」という意味で使われる。それは人工呼吸器や補助循環に止まらず、終末期には輸液管理や栄養管理が含まれることも多い。
終末期の事前指示書 胃瘻で延命? 自然な看取り? | 公益社団法人 日本経済研究センター
義父は当時90歳手前で、要介護生活20年。ショートステイ、ディサービス等を日常的に利用していました。
これらの介護施設を利用するためには、必ず同意書が必要になります。
同意書には、急に体調に変化があった場合、「医療行為をどこまでするのか、それともしないのか」
医療行為の項目は、人工呼吸、経管栄養、心臓マッサージ・・・それらに個別にチェックを入れ、署名押印して提出します。
延命治療は拒否
義父と「延命治療をどうするか」話す機会は持てませんでした。
「息子が死んだら誰が自分の面倒を見るのか」と心配し、「がんになることを極度に恐れ」永遠に生き続けたいと願っている様子なので。
担当のケアマネージャーと相談し、息子である夫は『延命はしない』と決めました。
長い介護生活で、心身ともにほころびが来ていることと年齢を考えると、自然に従うのがいいだろうと。
夫自身もその時が来たら、そうして欲しいと。私もそれに賛成しました。
病院は延命治療するところ
急激に痩せはじめ、エンシュアリキッドという高栄養ドリンクも処方されているのに、嫌いなものは口もつけない頑固者の義父です。
救急搬送されたのは、ちょうどデイサービスの日。施設で何度か息が止まりがちになったらしく、慌てて救急車に乗せたと聞きました。
私が着いた時には、息も意識も戻っていて「何でここにいるんだ」と不思議そう。
夫と病院の板挟み
医師は私の話から「水分・栄養が取れてないことの方が問題だ」とおっしゃった。
そして「たまたまベッドが1つ空いているので、今すぐ入院するように」と迫ります。
で、上記のとおり「延命治療はしないでおこうと・・・」と勇気を振り絞ったんですが、その時の医師の言葉が刺さります。
ほんとうにそんな選択をするつもりですか?
1週間持ちませんよ
やっぱりやめたといわれても、ベッドはありません
帰宅の手配は自分でやってください
救急車で運ばれ、ベッドに寝たっきりの義父を、どうやって一人で連れて帰れというのだろう。ディサービス先から届けられた義父の荷物・靴・車いすもあるし・・・
ちょっと夫と相談します
慌てて会社にいる夫に知らせたところ、案の定「うちに連れて帰ろう」と言います。
「そしたら1週間もたないよ。水も飲めないんだから」オロオロと答えれば、夫は「会社を休んで一緒に介護する」から大丈夫だと。
と言いますが、介護を担うのはほぼ私のはず。
現実を目の前にして、死にゆく人をお世話する勇気も、覚悟もなにもない。怖すぎる・・・
延命治療なしは非道な選択
ケアマネージャーに相談しようとしたら、よりによってお休み。
そうだ、かかりつけ医に相談してみよう!
「在宅で、終末期を診てもらえるか」と尋ねたら、ぴしゃりと断られました。
「こちらでは何もすることがない。そちらで見てもらうように」と。
夫と二人じゃ不安しかありません。家で亡くなったら警察が来る、というようなことも聞いています。
しばらく廊下に座って途方にくれました。
- 介護を担うのは私がメイン
- 自宅で看取るのは怖い
- とりあえず今、1人で義父をどう連れ帰ればいいかもわからない
- 病院に見放されるのも怖い
- 支えてくれる人がいない不安
こんなことが頭の中でグルグルします。なんといっても人の命が託されるのが一番怖い。
私の心が耐えられるのだろうか。素人の夫と二人っきりで。1週間かもしれないけど、1月いや、もっと長いかもしれない。
そこまで私がしないといけないのかと、ふと疑問が湧いてきます。もう十分介護やってきたと・・・
パンパンンに張りつめた心が弾けました。
「入院させてもらおう」それが一番楽だから。
延命治療の経過
入院してチューブから水分を補給すると、義父はにわかに元気になりました。
「どうも水を飲むのが足りなかった。家に帰ったら、高級な浄水器を買って良い水を沢山飲むんだ」と張り切っています。
これで良かったんだと、ほっとしました。
次の日、いろんな検査と、栄養を入れる点滴使用の承諾書を。
1週間ほど経つと、もっと栄養が必要だから、さらなる検査と中心静脈栄養の点滴を挿入することへの承諾書を書きました。
あんなにやせていた義父がパンパンに膨らんで、顔かたちがすっかり変わって別人みたい。
そのうち、挿入する管が増え、着装する器具が増え、鼻に差し込まれたチューブのせいで言葉も不明瞭になり、酸素マスクを着けて・・・
後は感染対策の面会謝絶でわかりません。
3カ月ほどの病院生活でした。
延命治療の意味、医療の世界と介護の世界
「延命治療する」と言えば、流れに乗っかるだけでいいんです。それが、拒否するとなると・・・・
義父が介護の世界にいた時、「延命治療を行えば寿命は延びるけど、それは本人のためなのか?国の莫大な介護費用を使って望むことなのか?」
そう問われているように感じました。
それが、医療の世界に入ると、「できるだけ命を長持ちさることが正義だ」とばかり、延命治療しか道はありませんでした。
後で病院のコーディネーターに聞けば、過去に延命しないを選んだのは2件だけだと言います。そのくらい病状が悪かったのだそうです。
医療の世界と介護の世界の橋を渡る時には、十分注意が必要です。
「病院で言われるままにつけた胃ろうのために、介護施設が限られて入れなくなった」と、悔やんでいた人に出会いました。
知っていれば、つけなかったかもしれないと。
まとめ
義父の命の瀬戸際で、延命治療しないという家族の意志をだれにも救い上げてもらえませんでした。
なんとも不安で孤独で、もしかして自分たちは、極悪非道な人間じゃないかと自分を責めもしました。
結局3か月ほど義父は長生きしました。これが、良かったのかどうか今でもわかりません。
人の命を決断する、とても重くて苦しい経験でした。